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2021.08.13

パラリンピック/パラスポーツ/車いすテニス

パラリンピックが始まりますね。とても楽しみです。
私はテニスが大好きなので応援もかね、ウェブサイトで見つけた国枝慎吾選手の写真と、特集サイトと、車いすテニスの歴史をUPします。
仕事に関係ありませんが、好きなので応援したい(笑

国枝慎吾選手

MELBOURNE, AUSTRALIA – JANUARY 25: Shingo Kunieda of Japan plays a forehand during a practice session during the 2014 Australian Open Wheelchair Championships on January 25, 2014 in Melbourne, Australia. Kunieda defeated Gustavo Fernandez of Argentina in the men’s singles final to win his 7th consecutive Australian Open Wheelchair Tennis Competition, and secured the men’s doubles title with partner Stephane Houdet of France. (Photo by Robert Prezioso/Getty Images)

YOLパラリンピック特集
https://www.yomiuri.co.jp/special/paralympic2016/sport01.html

ウェブサイトで見つけた「車いすテニスの歴史」を転写します。
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車椅子テニスのはじまりは1976年。
アクロバットスキーの競技中のけがにより下半身不随となっていたアメリカのブラッド・パークスが、ジェフ・ミネンブレイカーとともに車いすの改良を含め、本格的な競技スポーツとして成立させたのが、車いすテニスの始まりとされる。

1977年
パークスはアメリカ西海岸でエキシビションマッチを開催、これを受けてロサンゼルス市が20名の選手が参加する初のトーナメント戦を実施した。
1980年
パークスが中心となってアメリカ車いす財団が設立され、初の全米オープンが開催となり、アメリカ国内各地でツアーも行なわれた。
このツアーの時期にパークスらはジョン・ニューカムやフレッド・ストール、チャーリー・パサレルとの知己を得て、オーストラリアでのエキシビションマッチに招待された。
1981年
競技としての車いすテニスの国際普及を目指して車いすテニス選手協会(WTPA)が設立され、アメリカ国内を転戦して全米オープンで勝者を決定するグランプリサーキットの第1回大会が行なわれた。パークスによる教本も出版された。
ヨーロッパではフランスで国内ツアーが開催され、ヤニック・ノアやアンリ・ルコントといったプロテニス選手が車いすテニス選手と組むエキシビションも行なわれた。
1983年
パリ郊外のアントニーでアントニー・オープンと呼ばれる初の車いすテニスの国際トーナメントが開催された。
1984年
イギリスのストーク・マンデビルで初めて車いすテニスの公開競技が行なわれた。
日本で本格的な普及活動が始まったのもこの頃で、1983年、ハワイのホノルルマラソンに車いすで参加した松尾清美は、現地で車いすテニスを体験し、帰国後に友人達と練習を始めた。
また、ロサンゼルスで車いすテニスに出会ったことをきっかけに、佐藤政廣はパークスの教本を日本語に翻訳し、講習会を実施、障害者と健常者がダブルスを組むニューミックスの競技会を開催した。
1985年
福岡県飯塚市で飯塚国際車いすテニス大会(ジャパン・オープン)の第1回大会が行なわれた。
1985年
ワールドチームカップが創設された。第1回大会は男子選手が中心であったが、翌年の大会から女子の部が正式に発足した。
ヨーロッパでは1985年に欧州車いすテニス連盟が設立され、翌1986年に最初のフレンチ・オープンが開催されて欧州における競技人口およびトーナメント数が急増した。
1987年
イギリスの国際ストーク・マンデビル車いす競技大会に車いすテニスが正式に加わった。
1988年7月
国際テニス連盟が車いすテニスにおけるバウンドによる返球ルールを承認し、この新競技を正式に認可した。
10月にはブラッド・パークスを会長とする国際車いすテニス連盟が設立された。最初の加盟国はオーストラリア、カナダ、フランス、イギリス、オランダ、イスラエル、日本、アメリカの8カ国である。
さらに、国際ストーク・マンデビル車いす競技連盟と国際テニス連盟の働きかけによって、車いすテニスはソウルパラリンピックの公開競技に選ばれ、男女シングルスの試合が行われた。

深化と統合
1989年、初の全豪オープンがオーストラリアのメルボルンで開催された。
1990年にはアメリカ、フロリダ州キー・ビスケインで行なわれたリプトン・プレイヤーズ選手権に車いすテニス部門が設立され、健常者のプロテニス選手と同じ競技会に初めて車いすテニス選手らが参加した。
1992年、ソウル大会での成功を受けて車いすテニスがバルセロナパラリンピックの正式種目となり、男女のシングルスおよびダブルスの競技が行なわれた。同年、国際車いすテニス連盟のスポンサーとなったNECの名を冠したNEC車いすテニスツアーが発足した。
1994年からはNEC車いすテニスマスターズも開催されている。同じ年、車いすテニスはアジア太平洋地域の国際競技会、フェスピックの正式種目に加えられた。
1998年、国際車いすテニス連盟が国際テニス連盟に統合され、ジュニア部門やベテラン部門と並ぶ、同連盟の車いすテニス部門として正式に組み入れられた。同じ年、アメリカ車いす財団もまた全米テニス協会に統合された。この年のワールドチームカップにクァードクラスの試合が、2004年のアテネパラリンピックにはクァードクラスのシングルスとダブルスの試合がそれぞれ加わった。
2000年代に入ると、一般テニスの主要大会において車いすテニスのエキシビションマッチが行われることが増えた。さらに、全豪オープンをはじめ、全仏オープン、ウィンブルドン選手権、全米オープンといったテニスの4大大会(グランドスラム)に車いすテニス部門が相次いで創設され、それぞれ大会の開催期間中に同一会場で公式に試合が行われるようになった。2009年からはそれまでのスーパーシリーズの上にグランドスラムのグレードが新設された。
他方、途上国において高価な競技用車いすの入手が難しい状況を踏まえ、国際テニス連盟、ヨハン・クライフ財団、オランダ政府機関らによる車いすテニスシルバーファンドが2002年に創設され、車いすなど用具の寄付をはじめ、コーチの派遣やトップ選手らによる指導、シルバーファンドカップと呼ばれる地域別トーナメントも行われている。

おもな競技会
NEC車いすテニスツアーに含まれるトーナメントにはその大会規模に従って上から順に、グランドスラム、スーパーシリーズ、マスターズ、ITF1、ITF2、ITF3、フューチャーズの格付けがある。
このうち、車いすテニスにおける4大大会に相当するのがグランドスラムに格付けされた以下の4つの大会である。
全豪オープン
全仏オープン
ウィンブルドン選手権
全米オープン
NEC車いすテニスマスターズは車いすテニスにおけるシングルスの世界選手権に相当する。ダブルスには車いすテニスダブルスマスターズがある。さらに、パラリンピックや国別対抗戦形式のワールドチームカップなどがある。
日本ではスーパーシリーズに格付けされる飯塚国際車いすテニス大会(ジャパンオープン)のほか、ITF3の大会としてピースカップや神戸オープンなどが開催されている。国内選手権にはNEC全日本選抜車いすテニス選手権大会がある。

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